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インド滞在記 / アーユルヴェーダの食事でどこまで変わる?後編

インド滞在記 / アーユルヴェーダの食事でどこまで変わる?後編

約2週間のインド滞在期後編。Laturの街のアーユルヴェーダ治療院で体験した「食事だけでここまで変わった」レポートです。前編に続いて、後編もお届けします。具体的にどのような変化があったのか?体型やお肌など見た目の変化だけでなく、滞在中に体験できた生理の改善、そして、食事に加えて感じた「お祈りの効果」についても書いていきますね。

変化①身体の心地よい重み、ふっくらと膨らんだ白い肌

前編でも書いた通りアヌパマ先生の「みんなの家」の食事はどれも本当にすっごく美味しい。美味しいのですが、とにかく「おかわり」をたくさん勧められます。食事はいつもこんなふうに、ご飯にギーをかけて、ダルがあり、おかずが複数種類とチャパティがのっているのですが、ご飯を食べ終わらないうちに次のご飯が、チャパティをちぎっている間に次のチャパティが、ダルを飲み込む間にまたダルの皿が満タンに...といった具合で、なんかいつまでたっても食事が終わらない!

インドの皆さんと私の消化力では、雲泥の差があるので仕方がないのと先生たちには「お客様だからおもてなししたい!」という気持ちがあって、この「終わらないおかわりルーティン」が発生するのですが、私はとても太りやすい体質なので一気に太りました。

でも、その太った感じがいい感じ(?)なのです。今年私は43歳を迎える年ですが、この歳になるとどうしても「削げてくる」感じが否めません。削げた感じが老けた印象を与え、がっかりするのですが、そういうところに肉をつけようと意図してもなかなかつけることができない。逆につけたくないところにばかり肉がつくので、アンバランスになっていく。これが加齢ですね、

そんな中、なんだかいい感じのところに脂肪がついたのが最初の7日でした。お尻周りと、胸まわり、ほっぺたに自然な肉がついて、そのどれもが柔らかく白い脂肪で、とても優しい印象を与える身体になっていく。

ちょっと運動不足だったので、プロポーション的には「これはまずいのでは?!」と焦った瞬間もありましたが、生理前ということもあってむくんでいたようで、変に感じた身体のラインは生理を迎えるとともにすーっと消えていき、柔らかく程よい脂肪だけが残りました。

アーユルヴェーダで「重性」や「油性」は安定した身体づくりにとても大切な要素です。これらがあるから、夜の就寝時に安心してお布団に沈み込むことができ、良質な睡眠をとることで身体は健やかさを維持することができます。

日本での美しさというと「痩せていて、サラッとした肌で」というイメージを持っている人も多いと思いますが、あまりに過度にこの傾向にあると睡眠の質は低下し、乾燥して動きにくい身体になり、結果的に健やかさからは離れていってしまうのです。

私はPitta優勢で、乾燥もしていないし、中肉中背を常に維持している感じですが、Kaphaが満ちてほんわかしていくフォルムを見て「柔らかくて優しい印象だし、夜の眠りがどんどん気持ちの良いものになっていくな」と感じました。これはとても幸せな状態です。

ただし、重みは程よいところで留めておかなければ、眠りを貪ってしまいそうになるので、バランスは大事。おかわりをいくら勧められても「これが私の腹八分目」と言って、強く断る姿勢を、滞在4日目くらいからはとるようにしました笑

変化②潤んだ瞳、澄んだ白眼

ふっくらと白い脂肪が柔らかくついた先に待っていたのは、眼の変化。
そろそろ日本に向けてオンライン配信でもしようかな?と思って画面を覗き込んだ自分の顔には、びっくりするほど潤んだ瞳と、澄んだ白眼があって、あまりのピュアさに自分で驚きました。

Before/Afterを見てみましょう。

ちょっとわかりにくいけど、これは到着して4日目くらい。まだ日本にいる時と変わらない感じの肌色で、なんかテカってるし、頬はこけたままです。

これが5日経った頃。頬がふっくらし、おでこと眉間の皺が消え、黒眼に光が宿ってる感じがします。

これは9日目くらいの配信時のスクショ。ほぼノーメイクですが皺が減ったところに艶感が出て、白眼が潤んでいます。この頃は心の中も静かな湖のようで、頭からつま先までほんのり暖かく、安心していました。すごい。我ながらすごい笑

アーユルヴェーダの食事で変わることは、良質な油分で満たされること

日本でも油分の捉え方については昔よりだいぶ変わったと思いますが、アーユルヴェーダでは良質な油分で滋養することの大切さを5千年前から説いています。これはインド料理で大量に使われる油のことではないし、菜食なので肉類ではなく、ギーやココナッツオイルといった酸化しづらい良質な油を摂ることを指しています。

前編でお伝えした本当に素晴らしいミルクで作ったチャイや、そのミルクから作られたギーを私は毎日、たくさん摂っていました。チャイは1日3回、ギーは大さじ2杯は摂っていたと思います。

日頃から意識して摂っているつもりでいても、牛乳は飲まない日もあったし、ギーはそもそもその質が違ったり、量ももちろん足りていなかったなと感じます。

ただし、チャイは本来、オーセンティックなインドの飲み物ではありません。イギリスの植民地支配化にあった時代に、紅茶にミルクを入れて飲む文化のあるイギリス人がインドで良質な紅茶とスパイスティーのレシピを発見し、それらを組み合わせて生まれたのがチャイとされています。そのため、チャイをこんなにインド人が飲むようになったのはそれほど昔の話ではないとのこと。

チャイの飲み過ぎは砂糖の摂りすぎにも繋がりますし、アーユルヴェーダが重んじる「甘味」は砂糖で補われるものではなく、牛乳やギーなどといった素材そのものにある甘味のことを指しています。だから、牛乳はチャイではなくホットミルクで摂るのでも十分。

また、ギーは健康人の場合「1日小さじ2杯、または大さじ1杯」程度が適量とされているので、脂肪のつきすぎが気になる場合はその程度を目安とするといいでしょう。でも、そもそもそんなに太ってもいないのに脂肪がつくことを気にし過ぎている日本人の方が多いので、これを読んで意識的にギーを摂ろうと考えた人は思い切って「1日大さじ2杯」くらい摂ってみてもいいかも。

特にこの記事を書いているタイミングは、夏の間に油分が奪われてカラカラの状態で秋に突入していますし、秋の深まりから冬の始まりは身体に十分な脂肪を蓄えて身体の土台を作る季節です。少し多めに摂ってみて、身体が十分滋養されることを感じてみてほしいです。

菜食生活は、肉食生活よりもむしろ元気で、心が安定する

私は普段、日本でお肉もお魚も食べる生活を送っていますが、インド滞在中の2週間は、きっちりベジタリアンの暮らしを送りました。アーユルヴェーダの料理家なので、お肉やお魚を取らないとタンパク質不足になるのでは?と心配するほど知識不足ではありません。

アーユルヴェーダの料理、それがベースとするインドの菜食にはムング豆(緑豆)をはじめとした良質なタンパク質を含む豆料理が豊富にあって、特にムングはアーユルヴェーダでも最も有益な食材の一つです。これさえ食べていれば、元気が保たれると普段自分で言っておきながら、なんとなくお肉やお魚を摂っていました。

一方、肉や魚など殺生が必要な非菜食の食事は、心の状態に大きく作用します。もちろん、焼き肉をたくさん食べたり、ステーキを焼いたり、肉が中心の生活は送っていないし、私はアレルギー鎮静のために魚を控える傾向にあります(魚は特にPittaを上げて、アレルギーを増幅する面があるので)。

それでも、インド滞在中に必然的に肉魚を摂らず、豆とギー、米と野菜のみの食事をたっぷり摂っていたら、肉食生活よりもむしろずっと元気で、心が穏やかな湖のように静かな状態を継続することができて、改めてサットヴァ優勢の食事の大切さを知りました。

帰国後も、しばらくは肉魚を摂ることが気分的に憚られ、秋刀魚の季節だと知っていても手が伸びなかったり、仕事で肉の処理をするときも心を無にしてなんとかこなしたりと、元の生活に戻るまでには時間がかかりました。

今は、お付き合いなどもあって以前と大体同じように肉魚を食べるようになりましたが、できるだけ控えたいと思っているし、それを継続する程度の豊富なレシピも自分の手の中にたくさんあり、あとはやるだけだなと思っています。

ただ、これを読んだ方が、レシピ不足でいきなり菜食生活に突入すると、なかなか難しいかもしれない。ムングの調理のバリエーションがなかったり、ギーを作ることもできないと、冷奴ばっかりになったり、そうでなくても豆腐を焼いただけなど、大豆に頼ることになります。大豆は身体を冷やし、乾燥させる性質を持ちますので、大豆だけに頼るのは決してお勧めしません。

くれぐれも、アーユルヴェーダの料理のバリエーションを手に入れてから、試してみてくださいね。

いつもよりさらに「小川のように流れた」生理

ー遅れてやってきた生理の開始日に、先生が作ってくれたキチュリ

付け加えておきたいのは、滞在中に訪れた生理の体感の素晴らしさです。今回の私の生理の予定日はインドに入国する日の予定でした。ただ、その前に国内旅行をし、バタバタのまま久しぶりのインドに移動して、緊張していたのかなかなか生理がこない。

先生にも毎日「生理来ないな、ちょっと気になります」と言っては「数日のズレくらい気にしないでいいよ、でもせっかくだからもうすぐくる生理がより良い状態になるように、アーユルヴェーダの料理を楽しみましょう」と言われていました。

そして結局、生理はインド滞在の5日目に始まったのですが、それまで本当にピュアなアーユルヴェーダ料理をアヌパマ先生のお母様に作っていただき、そればかり食べてのんびりのんびり過ごし、仕事もせず、最小限の人にしか会わず生活していたら、いつ来たのか気づかないほどスムーズに生理がやってきました。

元々生理に悩みはない方ですが、疲れが溜まっていたり寒い季節には若干の腰の痛みや倦怠感は生じていたものの、今回はそれすらもなく、かつトイレに行くときだけ経血が流れる。その心地よさはいつも自ら言っている「生理は本来、小川のようなもの」の言葉そのままで、本当に気持ちが良かったのです。

女性にとって生理は、月に一度訪れる大切なデトックス期間。子宮の中に赤ちゃんを迎えるためにふかふかのベッドを作り、赤ちゃんはそんなに毎月は来ないので、予定日を迎えたらそのベッドを解体して、経血と共に流す作業が生理です。

よく考えると、そんな作業をするだけで人の身体にとっては重労働。アーユルヴェーダでは、生理を迎える前の2週間も(排卵の後)、生理中の1週間も、その過ごし方についてとても丁寧に注意点を伝えています。

特に生理中は、

  • アビヤンガやナスヤなど、マッサージを施すことをやめる
  • 人に無理して会ったり、夜に予定を入れたり、ハードな仕事をしない
  • 消化に重たい重たい食事や飲酒、質の悪い食事を摂らない
  • 4日目までは洗髪も休むこと
  • 十分に睡眠を摂り、ハードな運動をしない

などなど、いろんな注意点があります。生理は身体本来の自然な排出の作業なので、外側から無理に排出を促すような動きを取らないということを言っています。生理は月に1回のリズムですが、この1週間をこのように大切に過ごすだけで、次の生理が変わる。次の生理が変わると、その生理中の過ごし方も大切に過ごしたいと思える。その繰り返しです。

それだけでなく、今回感じたのは「生理が始まる前の過ごし方」でした。生理が始まる前はPMSの症状が起こりやすく、気分の上がり下がりだけでなく、それに呼応するようにしてやたらと刺激的なものを食べたくなる人や、逆にやたらと甘いものを食べたくなる人が多いのではないでしょうか。

それでも、もうすぐやってくる生理の状態を良くするためにも、ピュアで温かく、できたてのアーユルヴェーダの料理だけを食べて、できるだけのんびりと穏やかに過ごす。すると、自然とサラサラとした小川のように生理がやってくる。

私自身、それをつくづく実感したインドでの生理となりました。

食事だけではない、生活の様々なシーンに「祈り」があることの効果

前編、後編を通じて繰り返し書いてきたのは「心が穏やかな湖のようになり、身体の表面も目に見えて満たされた」ことでした。これはいわゆる「サットヴァ(純性)」な状態。アーユルヴェーダでは心のケアをする際に、心の3つの性質であるサットヴァ・ラジャス・タマスのうち、できるだけサットヴァが優勢であるように努めること、としています。

心のバランスは食事に強く影響を受けて微細に変化するため、サットヴァ優勢であるようにするためには、食事をサトヴィックにすることが近道です。サトヴィックな食事を摂ることはつまり、アーユルヴェーダの食事を摂ること、特に菜食を中心とした生活を送ることを指しています。

サトヴィックフードとは何か、ということについては「アーユルヴェーダ季節の料理教室」や、不定期で開催している「サトヴィック・アーユルヴェーダ料理教室」でお伝えしていますので、参加してみてください。

ただ、それだけでなく「サトヴィックな暮らし」を送ることも大切です。
これは早朝起床だったり、朝のディナチャリヤなどのケアも含まれるし、もっと普通のこと、たとえば四角で会った人に微笑み挨拶をするとか、毎朝神さまなど吉祥なものに触れることだったり、困っている人がいたら素直に手を差し伸べることだったり、いろいろあるのですが、これらを総合して「正善行為」と呼びます。

この「正善行為」私は読んでいるだけで心が満たされてとっても大好きなんですが、何度読んでも「おじいちゃんがいつも言っていたようなことだな」と思ったりする。昔の日本人が大切にしてきたことそのものなんですね。

この中には「祈ること」も登場します。祈ることは宗教を持つこととイコールではありません。もちろん宗教があって、特定の神さまにお祈りしたって良いのですが、私たち日本人の多くは、神社やお寺、それ以外にも道端の祠など道祖神を見かけた時に、一度立ち止まって一礼する心を持っています。素通りするとしても、目の前にゴミを捨てたりなどしないし、明治神宮の参道を歩いているだけで清々しい気持ちになる人もたくさんいると思う。

インドは日本以上に「祈る」シーンが多分に溢れた国です。ヒンドゥーが多神教ということもあって、インド人は神さまが大好き。折りしも私がインドに滞在していた期間は、日本でもメジャーなピンクの象「ガネーシャ」の生誕祭が催されていました。

インド人はあらゆる神さまの中でも、特にガネーシャが大好き。愛情を持ってそのお祭りに向けて丹念に準備をし、誇りを持ってお祈りの場を作り、お供えを拵えて、本当に嬉しそうにその日を迎えます。

今は便利な時代になって、プラスチックで作られたガネーシャが街のあちこちで販売されており、みんなそれを買って準備します。その様は、正月を迎える前の日本人が、大晦日近くになってバタバタと市販のお節を購入してなんとか準備を済ませる姿に似ています。

アヌパマ先生のところでは「神さまのフォルムを自分の手で感じることもお祈りだから」と言って、ガネーシャの像を粘土で手作りしました。近所の子どもたちをみんな集めて、それぞれ思い思いに作るのですが、ガネーシャの細部までよくイメージできない私はみんなのものを見よう見まねで作って、なんだかヘンテコに仕上がりました。でも、とっても楽しかった。「神さまのフォルムを自分の手で感じて」なんて考えたこともなかったな。

ー私のガネーシャは右から二つ目、なんか変w でも一生懸命さが出ています。

ーガネーシャのお祭りは10日間続くので、最後の方に行った牧場でも、牛が角をおしゃれに染めてもらっていました。首元にポンポンもつけていて、とっても可愛い!

ー商店の軒先にも、民家の台所の隅にも、必ずこうした祭壇があります。

このように、お祈りはインドの暮らしの中に溢れています。イスラム教のように決められた時間に一つの神さまに祈るのではなく、暮らしの中に溢れたあらゆる神さまの前で手を合わせるのです。

神さまの前だけでなく、牛にも首を垂れ、アヌパマ先生のお父様やお母様など、もちろんアヌパマ先生の前でも、目の前の敬う人の前で手を合わせ、感謝をします。太陽が昇ることに感謝して行う太陽礼拝から始まり、靴を脱いで地面に素足をつけることに御礼を伝え、聳え立つ大木にキスをしてその力を分けてもらうことに祈るのです。

早朝に起床し、ディナチャリヤを行い、ピュアなアーユルヴェーダ料理を摂り、生理を重んじること。その全てが、正しく祈ることに通じているような気さえします。

今日も五体満足で生きている不思議、五感を通じて社会とつながる類まれさに感謝して、自分を本当の意味で大切にする。シンプルで、とても静かで、特別なことが何もないLaturの街での滞在は、私にとって「本当のアーユルヴェーダ」を思い出させてくれた貴重な経験となりました。


いつかeatreat.でも、アヌパマ先生のところに生徒さん初めお客様を連れて行くツアーを作ってみたいなと思っています。その日をお楽しみに!そしてみなさん、普段の暮らしの中でできることを、この記事の中で見つけて、試してみてくださいね。

 

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今年の夏、長いお休みをいただいて14年ぶりとなるインドへ行ってきました。目的はもちろん「アーユルヴェーダの料理を学ぶこと」日々お店を営み、実践を重ねているのですが、実際に手を動かせば動かすほどわからなくなってくることもあります。間借りを4年、独立して店舗を作ってから3年の月日が経ち、そろそろ自分を見つめ直すタイミングが来たと思って赴いたインド滞在のレポートを前編、後編にわたってお届けします。...

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